壁に興味を持った理由

私の運命を決めた一言…「二度と来るな!」

kabe

 なぜ私が壁に夢中になったのか、壁を本格的に調べるようになるまでのお話です。それから、壁とは関係ありませんが、ベルリン滞在時の、ちょっとした思い出話も披露いたします。

■ベルリンにいたのは1980年代後半
 1986年10月〜88年3月に西ベルリンに滞在しました。日本のある大学にいましたが、周囲が就職活動するのを横目に私は休学しました。最初の4か月はドイツ語学校に通い、87年4月からはベルリン工科大に在籍しました。

 ドイツ語は、日本の大学でも第2外国語としてやっていましたが、そこは語学ベタな日本人の代表選手。いざ現地へ行くと、ほとんどしゃべれません。言いたいことがあっても、言葉が出てこないのです。家の前で大家さんに会って「スーパーに買い物に行きます」なんていう簡単なこともすんなりとは言えないものですね。こんな風に当初は苦労しましたが、少しずつできるようにはなりました。

ベルリン工科大の写真 [1]  [2]  [3]

■ベルリンでなければならなかった
 当時、日本の大学で流行していた国際関係論(国際政治)ってやつを専攻していました。ちょうど東西世界の冷戦華やかなりし頃だったので、ここはひとつ、都市が壁とやらで分断されているベルリンへ行ってみよう、と思ったわけです。その不思議な街に住んでみたい、と考えたのです。だから、ドイツに行きたかったのではなく、なんとしてもベルリンでなければならなかったのです。したがって壁に傾倒する前提条件は整っていたのでした。

私が通ったドイツ語学校(3階のGoethe Institut)

現在では違う場所にあるようです。

■ベルリンの壁との関わり
 たまたま語学学校で紹介されたアパートの隣の部屋にいたドイツ人学生と知り合いました。その男が少々壁に興味を持っていて、ちょくちょく壁周辺のドライブに連れて行ってくれたのでした。ブランデンブルク門やらチェックポイント・チャーリーのような観光地は私も既に知っていたのですが、彼とは、あまり人が行かないような所の壁をよく見に行きました。

これがベルリン工科大の学生証 安っぽい!

■壁に向かわせた運命
 ある週末、例によって彼と壁めぐりをしていたときのこと。その日はベルリン北方のフローナウという地区の森を攻めていました。境界地帯の金網に沿って歩いていると、なんと東独が、古くなった金網を壊して新しい金網を建てる工事を行っていたのです。それ自体、どうってことないかも知れませんが、いつもは壁の向こうにいるはずの警備兵たちが目の前にいるのです。当時の東独は西側から見れば「敵」。その敵が、手を伸ばせば届く距離に…。おお、感動の涙。

金網を建て替える工事  [1] 壁が倒れる…   [1] 重機で

 しかも、警備兵の一人が嫌がらせのつもりか、カメラをこちらに向けています。工事なんぞ見てないで、はやく通り過ぎろ! と言わんばかりでした。何という刺激的な光景。おそらく東独にとっては壁(金網)を取り替える作業を見られるのは、きまり悪い、というか恥ずかしいことだったのでしょう。また警備上も、一時的にではあっても境界地帯に「穴」が空くので、なるべく人を近づけたくなかったのだと思います。その警備兵は、散歩中の他の西側市民にもカメラを向けていました。

カメラを向けて嫌がらせ?をする警備兵

 しかし、そんな小手先の嫌がらせは、壁を見るために歩いていた我々には逆効果というものです。千載一遇のチャンスとばかりにシャッターを切らせてもらいました。その作業部隊は十数名の作業員と数名の警備兵からなっていました。隊長格が1人、さらに副隊長格の兵士が2人。副隊長格のうち1人がカメラを持っていました。他の2人は至近距離なのに、我々をさかんに双眼鏡で見ていました。こっちがカメラを持っていたので、顔を撮られないようにする意味もあったのでしょう。
作業員や他の警備兵を見張る上官3人

(隊長格の男は杭の陰に隠れている。右側の兵士がカメラを持っている。左の兵士はしきりと双眼鏡でこちらを見ている)

 そんなの甘いぜ! とばかりに、こちらも散々写真を撮りました。他にも若い警備兵が数人いて、私たちのことが気になるらしいのですが、カメラを向けると後ろを向いてしまいます。そのうち、あまりにもしつこく写真を撮る我々に業を煮やした3人が、何と我々の方に歩いて来るではありませんか。ただし、西ベルリンへの境界は踏み越えないように守っているようでした。そして私たちのそばに来た3人。隊長格が我々に向かって一言吐き捨てるように言いました。

「二度と来るな!」

 おお、検問所でもないのに警備兵に声をかけられるなんて。神に感謝するしかありません。
[1] 警備兵が見張る中、進められる工事
[2] 文句を言うため連れ立って来る3人の上官たち

 その日以来、私のベルリン滞在の方向性が迷うことなく決まりました。「よし、ベルリンの壁を走破して写真を撮りまくってやろう」。一部の物好きを除いて、おそらくほとんどの人が思いつかなかったことです。
 西側では「恥辱の壁」とも呼ばれていました。見たくもない壁なんざ、わざわざ歩くために出かけるなんてバカらしい、というのが当時の常識でしたから。しかし、私にしてみれば、写真を撮っておけば、少なくとも自分のベルリン滞在を形に残すことができると思ったことも大事な理由でした。

壁際を歩く私(少し寄り道)

■それからどうした?
 時間の取れる日は壁を見るためにひたすら歩きました。もっとも、地元の人も行かないような郊外へは電車やバスを乗り継いで、さらに何`か歩いて…、という強行軍も多かったです。学生の身分ですからタクシーなんて使えないので、とにかく自分の足が頼りでした。ドイツは天気が変わりやすく、「いい天気だー」なんて歩いていたら、突然、黒い雲がさぁーっと現れて土砂降りにあい、ずぶ濡れになったり…。そんなこんなで、きょうは南、明日は北、と徐々に走破距離を伸ばしていったのでした。

こんな2階建てバスにも乗って出かけました


ベルリン時代の思い出話

 必ずあらわれる駐車場おじさん
 必ずあらわれる学生食堂おばさん
 1回だけ出会った税関検査

[Home]