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恥ずかしながら、1987年当時の私です。ベルリン西郊の壁際を歩いているところです。写真にも示したように、木が切り払われている場所は西ベルリンではなく、東独側の領土なのです。壁や金網は、厳密な境界線の真上には建てられていないのです。数メートル東独寄りに奥まった所に作られているのが普通です。これは、東独が壁や金網を建てるために、ある程度の作業スペースが必要だからです。つまり、ピタリと壁に沿って歩くということは、厳密に言うと東独、あるいは東ベルリンに入り込んでいることになるのです。
チェックポイント・チャーリー周辺やポツダム広場といった場所でも、やはり壁際数メートルは東ベルリンに属していましたが、西側では誰も気にせず歩いたり車をとめていました。市街地では人が多いので、東独側も特に規制することはなかったのでしょう。 |
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| ところが、上の写真の通り、私たちが歩いていたのは中心街からはほど遠い西郊のシュパンダウ地区。西ベルリンの道路際から5、6メートルの木の茂みを越えた所。当時の地図によると、境界線は道路際にあったため、我々は完全に越境しています。この金網に沿ってずっと歩いていたため、写真にも写っている監視塔からは丸見え。さて、私たちを待ち受けていたのは…。 |