◆壁が開いた! 西ベルリンへ来た!!
 89年11月9日夜、東ベルリンに住んでいたシュテファン・ドレスラーさんが見た壁崩壊、そして壁を越えて生まれて初めて西側へ入った時の "興奮の" 体験談です。東側の人が当時の経験をまとめて公開するのは珍しく、ドレスラーさんのお許しをいただいて、日本語に訳し、転載させていただきました。


 私が壁の開放を聞いたのは、当時の「エドガー・アンドレ」というロシア語学校の6年生の時でした。(その学校は今では「エーリッヒ・フリード・ギムナジウム」という名前に変わっています。)そして私は「テールマン・パイオニア」(訳注・ボーイスカウトのような少年団)で熱心に活動する一人でした。
 そして次の土曜日、学校はあったのですが、祖母が訪ねて来たので、私たちは祖母の案内で西側に行くことに決めました。祖母は、年金生活者だったためすでに(訳注・壁崩壊以前から)西側へ行くことができ、西側のことはよく知っていました。
 いずれにしても学校はサボらなければなりませんでしたが、月曜日に聞いたところでは、その土曜日はクラスの半分の生徒は登校しなかったということでした。

 私たちはすぐ近所のワルシャワ通りに出ました。その近くには検問所もありました。そこはオーバーバウム橋(訳注・シュプレー川にかかる橋の名前)と呼ばれていているのですが、何百人と人が並んでいました。みんな西側へ行こうとしていたのですが、越境の手続きは一人ずつ行なっていました。

オーバーバウム橋(松浦撮影)

 しかし手続きは比較的早く進み、すぐに私たちの番になりました。検問所の中の窓口では身分証明証を提示しなければなりませんでした。しかしもちろん、私は持っていませんでした。それでも母と一緒に窓口に並びました。身分証明証にはスタンプが押され、私たちはようやく境界を越えることができたのです。

 私たちがシュプレー川を渡って対岸の西側に着くと、目にするものはすべて、違って、より新しく、より良く見えました。でも後にはっきり分かったことですが、基本的には自分たちのものと変わって見えることはないのでした。ただ幾分、初めて見る目にとっては清潔で、違う地下鉄やかっこいい西側の車が走っていました。
 私たちは伝説の地下鉄1号線に乗り、初めてノレンドルフ広場に行きました。この広場のことは、エーリッヒ・ケストナーが書いた「エミールと探偵」という本の話から知っていて、母と私は、この広場がどんなものか見たいと思っていたのでした。
 その後、大きな市場に行って、聞いたことがあるだけで実際には知らない色々な物を見ました。でも私たちは東側のお金、つまりアルミのチップしか持っていなくて、何も買うことはできませんでした。散歩中にはしょっちゅうHiFi商店の前を通り過ぎました。そのたびに不思議に思ったのは、自分たちのものに比べてとても値段が安かったことです。その他には、青果店には欲しい野菜や果物が何でもありました。

 最後に私たちはシェーネベルク地区市役所まで来て、100マルクの祝い金をもらうために銀行を探しました。並んでいる間はとても退屈でした。ようやく私たちの番になると、1人につき100マルク受け取り、さらに子供は(つまり私は)ゾウの形をした貯金箱をもらいました。いくつかの色の中から選ぶことができました。もちろんそれには銀行の名前も出ていましたが、忘れてしまいました。それは大切なことではないので。:-))
 それから私たちは地下鉄に少し乗り、「新しい」街をもっとじっくりと見ました。お店に置いてあるものは、私たちが住む東側と本当に変わらないように見えることが分かりました。

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