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【体験・東ドイツへの越境】 西ドイツ人として、東ドイツで休暇を過ごすためには、事前に許可が必要だった。東独にとって訪問を受ける「適性」があり、「敵」ではないかどうかが審査された。そのほか訪問理由、どこに滞在するのか(友人や親戚を訪ねるなら、誰のところに宿泊するのか)を厳密に申告しなければならなかった。許可を得るには手数料も払わされた。 車で国境を越えるためにも関門があった。持ち込みが禁止されている物品が車内にないか車を調べられ、パスポートもチェックされる(この手続きに数時間かかることもあった)。また高価なもの(例えば小型テレビなど)が見つかると、税関に預ける義務があった。帰路、それを受け取るには、手数料を払う必要があったが、多くの場合、手数料はその商品の値段より高かった。 鉄道利用で東ドイツに入国する場合も、旅行者は徹底的に調べられた。国境を越えて東独に入ると、列車は停止し、亡命者が乗り込むのを防ぐため、ドアは完全にロックされた。窓越しには自動小銃で武装した兵士が、警備犬を伴い列車に目を光らせていた。やがてドアが開き、荷物や書類をチェックするために兵士たちが乗り込むと、ドアは再びロックされた。こうした手続きが済んでから、ようやく列車は出発できた。 そして東独の目的地に着いても手続きは終わりではないのだ。およそ22時間以内に、最寄の大都市の公安に到着したことを届け出なければならなかったのだ。
【私の思い・壁が消えて】 子供の頃、よく家族で休暇を過ごすため東独に行きました。最初に行ったのは自分が3歳のときで、壁が崩壊した1989年、私はようやく9歳でしたから、上に書いたことは大部分が両親から聞いたものです。子供心に、列車の前になぜ多くの兵士が武器を持って立っているのか理解できませんでした。そして東独の友人達が西側をまったく訪れない理由も分からなかった。 でも東独で過ごした日々はいい思い出になっています。もちろん政治的な意味では、どこにスパイがいるか分からないから、公の場で東独の悪口を言うのははばかられましたが。 子供だった私にとって東独はとても居心地がよかったです。私たちは森や湖に囲まれた村で休暇を過ごしたし、少なくとも私たちが滞在した所は犯罪が少なかったので、森の中でキャンプもできたし、ドアに鍵をかける必要もありませんでした。また子供向けの雑誌といった西側では手に入らないような物もあったのです。まあ幼かったので、今と見方もぜんぜん違っていたのです。 私たちは(東独在住の)友人達によく大きな小包便で、東側では手に入らない食料品を送りました。そして壁が崩壊したとき、多くの人々が、こちら側の方がよくて、もっと職があって、いい給料があると信じて西側に移って来ました。確かに西側の方が給料はいいのですが、しかしそれでは東側の労働力がなくなってしまいます。多くの会社や店がつぶれました。父の知人もそれに巻き込まれた一人でした。 (旧東ドイツの)同じ所で休暇を過ごすとしても、今では玄関にカギをかけないなんてことはできません。事情が大きく変わってしまったのです。壁がなくなって私はとてもうれしく思いますが、残念ながら経済的にはたくさんの問題を残すことにもなっているのです。 |