◆2009年は壁崩壊20周年◆


 ベルリンの壁が開放されたのが1989年11月9日。現地のベルリンでは東西の市民が抱き合って喜びを分かち合い、世界中が大騒ぎし興奮した大事件でしたが、2009年はそれから20年。隔世の感もありますが、節目の年でもあり、各地でイベントなどが企画されました。さすがに節目を迎える現地では、数多くの催し物が企画され、壁があった当時の写真や資料の展示とか、壁の跡地を巡るツアー(散歩)などが行われています。

[ベルリン・ブランデンブルク門周辺]

 

 記念日の11月9日には「自由の祭典」と題してイベントがありました。壁に見立てた発泡スチロール製の板(高さ2m50、幅1m、厚さ40cm)を1000枚以上、門を中心にポツダム広場と国会議事堂方向へ並べて、ドミノ倒しをする企画です。ドミノ倒しにより「壁が再び倒れる」ことを表現するもので、板には地元の生徒や若者を中心に壁崩壊をテーマに絵などが描かれました。

 

 祭典はバレンボイム氏指揮による演奏のほか、ロックバンド、ボン・ジョヴィの演奏、内外の政治家らのあいさつがありました。メルケル独首相やクリントン米国務長官、ブラウン英首相、サルコジ仏大統領、さらに壁が崩壊したときのソ連書記長だったゴルバチョフ氏らも出席、壁開放の象徴としてブランデンブルク門の下をくぐり抜けるパフォーマンスを披露しました。その後ドミノ倒しが行われ、最後に門周辺で花火が打ち上げられました。当日は雨が降ったりやんだりの天気でしたが、早い時間から多くの人が門の周辺に詰めかけ、並べられたドミノに沿って。右下の写真は、祭典が終わった後のブランデンブルク門前です。

 


[ベルリン・ボルンホルム橋]
 東側の人々が最初に壁を越えて西ベルリンへ来たのが、ここボルンホルム橋(Bornholmer Brücke)にあった検問所でした。1989年11月9日午後11時20分ごろ、実に28年ぶりに壁が開放されたのです。それから20年たった2009年11月9日の記念日に、メルケル独首相、旧ソ連のゴルバチョフ元書記長らが、壁開放を記念して橋を歩いて渡りました。

 

 左の写真は、橋を渡り始めるメルケル独首相。右は、ベルリンの壁が最初に開放された検問所があったボルンホルム橋。



[ベルリン・独外務省で写真展]
 崩壊後、世界中に売られていった壁が、どんな人の手に渡ったのか…。壁のその後を追った写真展です。ベルリンにあるドイツ政府外務省の1階ロビーで開催。現在の所有者や管理している人と写った壁の横長の写真が展示されています。日本のもありました。

 1階玄関で荷物検査を受ければ入れる会場。撮影日が初日のせいか、わざわざ見に来る人もいないのか、閑散としている。



[『ベルリン 東ドイツをたどる旅』出版]
 ドイツ在住の著者が、ベルリン市内にいまだに残っている東ドイツ時代の建物や通り、歴史が起きた現場をはじめ、東ドイツ時代の製品が購入できる店や喫茶店など、「ベルリンの中に残る東ドイツ」を写真と共に紹介しています。有名なテレビ塔や東独秘密警察(シュタージ)関連の施設などのほか、東西分裂当時を知るベルリン市民たちのインタビューや、ベルリンの壁跡めぐりマップも掲載しています。

産業編集センター刊
【著者】見市 知
【判型】A5変型判
【ページ数】140ページ
【定価】1,365円(税込み)
【ISBNコード】978-4-86311-033-5



[ドイツ大使館で写真展]
 壁構築から崩壊後までを写真で振り返る企画が、東京・港区南麻布のドイツ大使館の塀を利用して行われています。1961年に壁の建設が始まったころから、東独で89年に頻発した民主化要求デモ、そして壁が崩壊した時の様子など計26枚の写真が、塀に貼り付けられるようにして展示されています。中には、壁を越えて西ベルリン側に亡命しようとして射殺された若者の写真もあり、歴史の重さを感じさせます。塀は坂道に沿っていて、坂の下から古い順に写真が並んでいます。この展示の主旨を考えれば当然ですが、やはり壁が開放されたときの写真が多く、壁があった頃の写真が少ないのは残念です。壁自体の写真がもっとたくさん展示されていれば、壁を知らない若い世代にも強くアピールできたのではないかと思います。11月27日までの予定。

 

 上左は坂の上から見た写真。大使館の敷地を囲む塀に写真が貼られていて、通りがかりの人も歩きながら見ている。右の写真は、1990年10月3日にドイツ統一をブランデンブルク門で祝う人々。



[東京・壁の写真展示]
 毎年、開かれている陸上競技の世界大会が2009年はベルリン開催となりました。これを記念して、製薬会社「マルホ」(本社・大阪市)が滋賀県の彦根工場に所有するベルリンの壁が、東京港区・赤坂のTBS放送センター前(赤坂サカス)に展示されました(すでに終了)。同局が世界陸上を放映するためで、マルホ側も「多くの人に本物を見てほしい」との趣旨で協力しました。またセンターの1階ロビーには壁のレプリカも置かれました。
 この壁は、かのチェックポイント・チャーリー近くにあった壁です。展示中の壁は、すっぽりとガラスケースに覆われており、雨ざらしにはならず、丁重に扱われている様子がよく分かります。ケースの前には説明板もあって壁の歴史が簡単に分かるようになっていました。

 赤坂サカスに展示された壁。ガラス張りになっていて裏側からも見えるようにされた。右の写真、壁の裏にスプレーで「28」と記されているが、この壁がチェックポイント・チャーリーから左方向へ28番目に立っていたブロックであったことを示すといいう。


(参考)マルホ彦根工場に置かれている状態の壁


[ベルリン・壁の絵を修復]
 旧東ベルリンに長さ1 キロ余りに渡って壁が保存されている「イーストサイド・ギャラリー」では、壁に描かれた絵をアーチストたちが復元しています。東ベルリン側の川岸にあった壁で、当時は西ベルリン市民はこの壁に近づくことはできず、落書きはまったくなく、崩壊までまっさらなきれいな壁でした。しかし1989年に壁が崩壊してからは、多くの芸術家が世界中から集まり壁の旧東ベルリン側に絵を描きました。しかし長年の風雨にさらされ劣化してきたうえ、絵の上から別の落書きもされているため、修復することになったそうです。
    

左の写真は、風雨のため劣化が進み剥がれ落ち無残な姿となっていた絵(2006年12月)。同じ作品が修復されて、右の写真のように生まれ変わった(2009年7月撮影)。この絵は、旧ソ連と東ドイツが社会主義の兄弟国として親密であったことを示すもので、描かれているのはブレジネフソ連書記長(左)とホネッカー東独議長です。


    

上の写真は、「日本への迂回路」と題した作品ですが、画家は日本人ではありません。


    

旧東ドイツを代表する車であった「トラバント」を描いた作品。


(参考)イーストサイド・ギャラリーについて


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