8月13日は壁建設が始まった日

 1961年の8月13日午前零時、壁の構築は電撃的に開始されたのでした。東独の国家人民軍や国境警察部隊が大量に動員され、いっせいに西ベルリンを完全包囲し、鉄条網などを敷設し閉鎖していきました。基本的な封鎖作業は、ほぼ1日で終了。その後、コンクリートブロックを積み上げるなどの方法で、より強固な「壁」が徐々に築かれていきました。

 「記念日」というには変ですが、西ベルリン市民にとって8月13日は毎年、特別な意味を持っていました。壁近くでは、壁に反対する人たちが様々な抗議活動を続けていました。私が滞在していた1987年の「その日」の表情を写真でお伝えします。

抗議#1 プラカード   毎年、この日になるとチェックポイント・チャーリーの前に立ち、壁に抗議するジョセフ・ウェルナーさん。「ロシアよ、壁を壊せ!」「なぜ彼らは自由でないのか」と抗議文を書いたプラカードを掲げて、道行く観光客らに、悲しみの象徴として黒い小旗を配っていました。
抗議#1 悲しみの象徴  ウェルナーさんが配っていた小旗を、誰かがブランデンブルク門前の看板に取り付けました。背後には東独の象徴である赤旗が風に揺れています。
抗議#2 ビラ  この人もチェックポイント・チャーリーの前で壁の存在に反対するビラを配っていました。
抗議#2 これがビラ  この男性が配っていたビラです。「首都のこだま」のタイトル。「ベルリンにおけるドイツの声。1987年8月13日。ベルリンに壁ができ、射殺命令が出されて26年。いつまで続くのか」。DDRとはドイツ民主共和国(東独)の略称です。
抗議#3 風船  こちらは若者がブランデンブルク門の前で「壁をなくせ」と書かれた大きな風船を掲げて気勢をあげています。
抗議#3 ポスター  青年が掲げているポスターには「ブランデンブルク門が閉じられている限り、ドイツ問題は未解決」と書かれており、壁による封鎖に抗議しています。
監視  ブランデンブルク門前の壁の向こうには東独の国境警備兵が、双眼鏡でこちら側の抗議行動をチェック。三脚にセットされた望遠レンズ付きのカメラも見えます。
警戒  壁に対する抗議活動も起きるかもしれないため、西ベルリン警察もチェックポイント・チャーリー付近に出動し、不測の事態に備えています。
テレビ  この日の壁際の様子を伝えるため、ポツダム広場にはテレビ局の中継車が来ています。
観光客  ブランデンブルク門の向こう側、つまり東ベルリン側にも観光客がいっぱい。夏休みシーズンおなじみの光景です。
集会  帝国議事堂横で開かれた保守系政治団体の集会。壁の裏の監視塔上には、集会風景をビデオ録画する警備兵らの姿が。
放火の跡  13日深夜、ブランデンブルク門前の壁に何者かが放火。東独側も警戒していたため火はすぐに消し止められ、修繕されました。(翌日撮影)


[Home] [目次] [Back] [Next]