まずは路面電車。壁の向こうはポツダム広場です。1930年代は交通の要衝として栄えた所ですが、壁ができたらこのありさま。むなしく線路の跡だけが残ります=クロイツベルク地区ケーテン通り
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これも路面電車です。検問所になっている場所ですが、写真右の方に線路の跡が見えます。かつてベルリンには路面電車が多かったので、壁で寸断されたケースは多かったのです=ノイケルン地区ゾンネ通り
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「Sバーン」と呼ばれる電車の線路です。ベルリン南郊の林の中を走っていた路線ですが、レールの間にも木が生えてしまい、壁ができてからの年月を感じさせます=ツェーレンドルフ地区
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左の写真と同じ場所で、もう少し壁から遠ざかり、少し上を見たところ。線路右に「腕木式」と呼ばれる電気を使わない古いタイプの信号機が立っています。まさに廃墟の様相です=同左
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これも検問所前の路面電車跡。境界線をまたぐレールは取り外す工事がしにくかったようですね。昔の道路はアスファルトではなく石畳だったことが分かります=ヴェディング地区チョセー通り
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貨物用の線路のようです。壁に寸断されている部分はちゃんとレールが取り外されていますが、これだけの設備を使わずに放置するとは、ものすごい無駄ですね=シュパンダウ地区ゼーゲフェルト通り
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かつての貨物専用線の跡。壁によって寸断されたわけではありませんが、たまたま壁際を走る形になっていて、廃線になったようです=ヴェディング地区クレムケ通り
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土手の上を走るSバーン。前方の壁によって土手そのものが切り崩されています。中央には、電車に電気を供給していた第3軌道と呼ばれるレールが見えます=ノイケルン地区ヴェガ通り
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ベルリン北部の森の中を走っていたSバーン。レールの間に「フランス占領区終わり」を示す看板が堂々と立っていました。木が育って森になってしまいました=ライニッケンドルフ地区ルピン通り
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サムネイル画像では色が悪く分かりませんが、左側の写真にある看板から数十メートル進むと、やはり土手が切り崩されており、前方の無人地帯に東独国境警備隊の監視塔が見えます=同左
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ベルリン北部の無人地帯内に線路があります。路線として使っているわけではなさそうなのに、ちゃんと線路用の扉も設置していることから、壊さず維持している様子がうかがえます=ライニッケンドルフ地区
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左側の写真に写っている線路は手前の方向に伸び、壁(金網)裏ぎりぎりのところにつながっています。金網の裏を歩いている警備兵は、ここで発生した亡命事件で逃亡者の痕跡を探しているところ=同左
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貨物線。東西ベルリンの境界が運河になっており、そこにかかる橋の上の様子。西側ではこの橋の部分にしか線路は残っていないのですが、ご丁寧に車止めがあります=ノイケルン地区ゲルリッツ通り
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ベルリン南端から東ドイツへ走っていたSバーン。壁ができて26年、レールの間にもシラカバが生い茂る森になっています。前方の草むらの先に壁(金網)が立っています=ツェーレンドルフ地区
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