壁・西ベルリンに関する疑問

Wappen  Q5. ブランデンブルク門が「ドイツ・ベルリン分断の象徴」と呼ばれますが、なぜ象徴なのでしょうか。

 ブランデンブルク門は1791年に完成したもので、まず長い歴史があります。高さ約26bというのも立派な大きさで、ランドマークとして市民にも愛されていたはずです。そして1961年8月13日、東独が壁を作るため西ベルリンを封鎖した時、多くの西ベルリン市民が、そのニュースを自らの目で確かめるため集まったのがブランデンブルク門でした。

 また、この門の西側部分を東西ベルリンの境界線が走っており、壁が建設されたことにより、市民にとっては「ブランデンブルク門が閉鎖された」という認識があったのではないかと思います。つまりブランデンブルク門が閉鎖されていることを見れば、壁構築によるベルリン分断の痛みが理解できる、という共通の感覚が生まれました。

 1987年6月、当時のレーガン米大統領がベルリンを訪問して、演説したのもやはりブランデンブルク門前でした。そして彼は演説の締めくくりにソ連のゴルバチョフ書記長(当時)に呼びかけました。

"Mr. Gorbachev, open this Gate! Mr. Gorbachev, tear down this Wall!"

 「ゴルバチョフさん、壁を壊してください! ゴルバチョフさん、この門を開いてください!」。この言葉でレーガン大統領は聴衆の大喝采を浴びました。

レーガン大統領が演説するための舞台をブランデンブルク門前に設営しているところ。舞台背後、つまり東ベルリン方向には防弾ガラスが設置されました。写真右上の楕円内は、門の上から舞台作りを双眼鏡でチェックする東独の警備兵です


 また1953年にベルリンで労働者のデモが行われた際も、ブランデンブルク門を通過しました。このように、なにかにつけてイベント的な現象はブランデンブルク門を中心に行われてきたのです。だから、この門はベルリン市民にとっての象徴だったといえます。ですから、ベルリンが分断されていた時代はもちろん、統一後は、門が開かれたという意味で、やはり象徴なのでしょう。しかも統一後はベルリンがドイツの首都になったので、ドイツ統一の象徴としても認識されるのだと思います。

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