壁・西ベルリンに関する疑問

Wappen Q1. 西ベルリンは生活物資をどうまかなっていたのですか。街自体が壁で囲まれていたのなら外部から供給することは不可能では?

 西ベルリンは確かに壁で囲まれていました。しかし意外に広い都市で、面積は約480平方`。これは東京23区(620平方`)を一回り小さくしたくらいです。しかも「都市」という言葉から連想するようにオフィス街や住宅街だけではありませんでした。自然も豊富で、森、湖、川、畑、といろいろな地理的な要素を持っているのです。


ベルリンには遊覧船が走る湖など自然も豊富(ハーフェル湖、1987年撮影)


 また税制上の優遇政策もあって、企業や工場などの産業施設も実はたくさんありました。西ベルリン自前の発電所もあり、生活に必要な物資のかなりの部分は西ベルリン市内で供給できたことは事実です。また、地元でまかなえないものは他の国や地域から「輸入」することもできました。

 西ベルリン−西ドイツの陸上交通路は、1971年の東西ドイツ間の「トランジット協定」で安全が保障 されることになりました。したがって西ベルリンは、西ドイツから必要な物資を運ぶことが可能だったわけです。

 西ドイツからだけでなく、西ベルリンは他のヨーロッパ諸国や、「敵」(?)であるはずの東独からさえ物を調達していました。ふつう品物には "made in Spain" などのように生産国が書かれていますが、さすがに東独からの輸入品には単に "made in Germany"(ドイツ製)とだけ記されていて、「ドイツ民主共和国」などのようにきちんと東独と分かるようには書かれていなかったように記憶しています。

 70年代以降、西ベルリンで生活物資に困ることはまったくありませんでした。それ以上に、東側に対する経済的な意味での「ショーウィンドウ」の役割を西ベルリンに与えるため、西ベルリンを特に活気づける必要があったのでした。中心街には有名なデパート「KaDeWe(カー・デー・ヴェー)」などあり、少なくとも「繁栄している」という印象はありました。

西ベルリン "繁栄" の象徴的存在だったデパート「KaDeWe」(カー・デー・ヴェー)。カー・デー・ヴェーとは「西側のデパート」という意味の言葉を短縮した呼び方です(1988年撮影)


[目次] [Home]