|
このころ西ドイツでは連邦議会(国会)下院議員選挙を控えており、ブラントは社会民主党(SPD)の首相候補として、選挙運動の真っ最中だった。この夜、ブラントは選挙運動用の特別列車に乗っており、ニュルンベルクからキールへと向かっていた。午前4時半に車中で封鎖の報告を受けたブラントは、最寄のハノーファーで下車、パンナムの一番機で西ベルリンに引き返した。 西ベルリンに着いたブラントは、西ベルリン警察長官らとともに空港から直接、封鎖の現場を見に行った。ポツダム広場とブランデンブルク門を視察したブラントは、実際に東ドイツ警察が鉄条網を立てて境界を封鎖している事実を目の当たりにした。 ブラントが市庁舎に入ると「西ベルリンの周囲にはソ連の戦車隊も出動している」といった連絡が入るなど、事態は切迫していた。この日午前、彼は西ベルリンを占領統治していた米英仏の軍政長官を訪ね、どんな対抗措置を西側諸国は取るのか協議したものの、明確な返答は得られなかった。 |