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この日、ウルプリヒトは東ベルリンで、西側マスコミのインタビューに答えていた。 そのころ一日に1000人以上の東ドイツ市民が西ベルリンに亡命していた。この流れを食い止めるため、東ドイツは境界を封鎖して壁を作るといった強硬手段をとるのでは、という噂がささやかれていた。こうした噂の真偽を確かめようと、フランクフルト・ルントシャウ紙のアンナマリー・ドヘア記者が質問した。ドヘア記者は、当時、ソ連が主張していた「西ベルリン非武装自由都市化」に絡めて質問を行った。 「議長、あなたのお考えでは、(西ベルリンを)非武装自由都市にするということは、ブランデンブルク門に国境が引かれるのですか?」 ウルプリヒトが答えた。「ドイツ民主共和国(東ドイツ)の首都の建設労働者を壁建設に投入させたがっている人が西ドイツにはいるようですね。私には、そんな考えはありません。我が首都の建設労働者は主に住宅建築にフルに投入されています。誰も壁を作ろうなどとは考えていません」。 |
※西ベルリンの非武装自由都市化・・・・1958年にソ連の指導者、フルシチョフ共産党書記長が提案した。西ベルリンから米英仏の軍隊が撤退して「自由都市」とする考えで、ソ連や東ドイツの支配下にも置かれない独立した存在にするとされた。西側の軍を追い出すことで、西ベルリンの存在感を薄めて事実上、骨抜きにしようとする企み、と解釈されたためケネディ米大統領ら西側は強硬に反対した。 |